馬渕教室 ウィルウェイ 合格目指せ 5ch掲示板

馬渕教室(ウィルウェイ)に通う受験生の5ch掲示板ブログです。

がんばった中学受験

中学受験はとてもつらかったです。何回もイヤになったり、成績も上がったり下がったりで、五年生の夏には本当にやめたくなりました。その時は担任の保谷先生に「見込みがある!!」とはげまされて、続けることができました。
  私は四年生の秋から馬渕に入りました。最初の三カ月も追いつくのに必死でしたがそれよりも六年生の夏が本当に「受験の天王山」でした。弱い教科や強化した いとこと出陣式でのアドバイスなど、しなければならないことが山ほどありました。予定をたてると、睡眠時間も少なく、自由時間もゼロ。時間をうまく使うた め、お母さんに時間を計ってもらったり、答えあわせしてもらったり苦手プリントも作ってもらいました。朝早く起きて、計算、漢学、総合問題集から始まり、 宿題、復テ確テなどの自主勉...。「休けい五分。」「はい、ごはん。」「はい、昼休み終了。」お母さんと、「軍隊みたいやなあ。」と言いながら、がんば りました。塾のある日もない日も、スケジュールをたんたんとこなし夏が終わりました。
 すごく「やったー」という感じでした。秋は「がんばった」分、演習も自信がついてきました苦手な科目も少しずつ点がとれるようになってきました。
  一番大事なのは、宿題やアドバイスをきっちりすることです。お母さんもいつも「プロにまかしているから大丈夫!大丈夫!」といつもじゅもんのように言って いました。H先生もいつも「お前ならいける!」と言ってくれました。私はそう言ってもらえてすごくすごくうれしかったです。
 馬渕での勉強は本当に大変でした。でもやったらできるがんばったら成績が上がることが実感できました。中学校の勉強もすることがいっぱいあると思いますが、馬渕でがんばったとおり、中学校でもがんばります。
  最後に豊中校C先生、K先生、T先生お世話になりました。理科のM先生、スーパーレベルの理科はむずかしかったけれど、私は大好きな時間でし た。そしていつもいつもはげましてくれたH先生ありがとうございました。私からのこれからがんばる受験生のみなさんへのアドバイスは、馬渕を信じて「言 われたことをきちんとする」です。

同志社香里への道

私は、小学四年生から馬渕教室に通っていました。はじめての塾生活に、はじめはとまどいがありましたが、四年生夏期講習ごろからだんだんなじんできて、塾が学校よりも楽しく思えるようになりました。友達もみんな優しいし、あったかくて...そんな塾が好きでした。

私はもともとかしこいタイプではなかったので、努力をかさね続けていました。勉強はきらいではなかったし、がんばれば成績は上がると思ったからです。

けれど、五年生の夏期講習あとに、急激に成績が下がってきました。夏休みが思ったよりも大変で宿題しかしなかったからです。このとき、私は『宿題』と『勉強』は違うんだ、と改めて感じました。

秋にはいろいろな行事があったので、結局、下がった成績をとりもどすために半年ほどかかりました。

六年生になった日から受験の日までゲームをしないと約束し、テレビもほとんど見られない日々が続きました。算数は総合問題集Ⅱをひたすら解いていると、テストも少しずつ良くなっていました。私は六年生冬期講習前までAクラスにいましたが、高梨先生のアドバイスでBクラスにおりて、基本を定着させ、ミスをなくそうという考え方に納得し、Bクラスにおりることにしました。両親との約束で、各学校の入試問題で三位以内にはいることを目標にし、がんばりました。六年最後の授業だった社会のテストでも一位をとることができ、良いモチベーションで受験に臨めそうな気がしました。

前受験の土佐塾は一括出願のおかげできんちょうせずに楽しみながら受けることができました。

土佐塾に合格し、いよいよ本命の同志社香里の受験日がやってきました。同志社香里のゆるい坂道をのぼっていると、高橋先生の姿を見つけました。まさか堺東校の先生が来てくれているなど思いもせず、とてもうれしかったです。先生からカイロをもらって、いざ出陣!!地元の仲良しの友達がとなりの席でとてもリラックスができ、絶対合格すると確信しました。今年の同志社香里の算数は比較的簡単でした。

次の日の夕方、三時頃から発表までの時間、ずっとソワソワしていました。五時前に家族みんなでパソコンの前に集まりました。五時になり、受験番号と誕生日を入力しましたがすぐにつながらず、数秒後、『合格』の文字が...。家族みんなで大喜びしました。結局、大阪女学院も合格し、私の長い受験生活が終わりました。

馬渕教室での三年間は、私にとっては楽しい日々でした。私が合格できたのは、堺東校の先生方のおかげです。本当にありがとうございました。同志社香里中学へ行っても今まで通りがんばります。

大事なものは努力と仲間

私は、受験のカウントダウンが始まっても、友達と遊ぶのが大好きでした。大好きで勉強もせずに毎日、毎日遊んでいました。朝、学校に行くとき、「今日は 遊んだらあかんで。」と言われていても、学校から帰って来たら「なぁ。やっぱり遊んでもいい?」と言って遊んでいました。そんなふうに毎日時間を見つけて は遊んで過ごしていました。一日ぐらい、一日ぐらい...。そして、受験日をむかえました。結果は第一志望の洛南は不合格でした。不合格だと知った時、初 めて、一日一日の小さな積み重ねが大切である事を知りました。受験とは、私が思っていたほど簡単ではなかったのです。私が遊んでいたときもみんなはコツコ ツと努力を積み重ねていたのです。
 でも、こんなおバカな私でも第二志望の四天王寺に合格することができました。それは、受験勉強を楽しめたから だと思います。私は、四年生の時、塾が大嫌いでした。「何とかして塾を休んでやろう!」と毎日考えていました。私は、四年生の時が受験勉強を始めた三年生 から六年生の間で、一番しんどかったと思います。それは三年生からいきなり日数が多くなったからでもあると思います。でも、受験勉強の楽しさを知らなかっ たからだと思います。私は五年生の夏休みぐらいに初めて受験勉強の楽しさを知りました。そして六年生の十一月ぐらいから受験日までが一番楽しかったです。 私は質問するのが大好きでした。特に理科の質問が多く、教科書にのっている事よりも難しくて、今でも納得できていない質問がたくさんあります。受験では質 問の内容は出題されなかったけど、質問によって覚えた事は、たくさんあります。今でも納得できていない質問も無駄ではなかったと思っています。そして、先 生、友達がみんなすごく優しかった事も楽しさを知る事ができた一つの理由だと思います。女子同士で机に集まって話しているときがすごく楽しかったし、男子 と笑いながら口喧嘩に似たようなものをしたのもすごく楽しかったです。それも、みんな、友達のおかげだと思います。
 今、思えば、「仲良しなクラ ス」ってすごく大事な事だと思います。私達のクラスは、よく喧嘩もしたけれど、すごく仲良かったと思います。何か特に珍しい事があった訳でも無いけど、私 にとって「最高のクラス」でした。先生はいつも私達の話をしっかり聞いて考えてくれて、話すのがすごく楽しかったです。私は、馬渕のみんなが「大好き」で す。受験が終わって毎日遊んでいる今より、みんなと仲良く勉強していた方が楽しい気がします。
 受験に、一日一日の努力は大切です。「一日だけ だったら変わらないかな。」と言わずにがんばってください。そして、仲間を大切にしてください。今から同じ事に挑戦する仲間です。馬渕のみんなは私にとっ て最高の仲間です。苦しい時こそ支えてくれる人がいます。私も大勢の人に支えてもらいました。「ホンマにありがとう。」

地道に、確実に

中学受験を真剣に考え出したのは、五年生の後半だった。え?そんなに遅くからでも大丈夫?と馬渕教室の皆は思うだろう。
 その当時(五年生)、ぼくはアメリカに住んでいた。そこは勉強に対してとても熱心だったが、日本のように受験を考える人達はいなかった。だからと言って、環境のせいにするつもりはないが...、少しは...。しかし、自分を納得させても、現実は遅過ぎるだろうな。
  急いで帰国をし、入塾試験を受けた。馬渕教室、N塾とH学園の全て合格した。しかし、N塾とH学園は、「今からじゃー難しいよね、相当がんばらないと ね。」ショックな答えが当たり前のように返って来た。しかし、馬渕教室だけは、「一緒にがんばりましょう。」と笑顔で言ってくれた。ここでがんばろう。先 生の言葉と笑顔は、ぼくに更にがんばる勇気をくれた。よし!
 でも、ここからが本当に大変だった。塾生の皆との差、アメリカにいた三年間分の埋め 合わせ、塾で新しく習う内容を身に付けること。する事は山の様。時間はと言うと、塾から帰宅してからの三時間程度しかない。その時間はほとんどが塾の宿題 に。その他に回せる時間はなかった。でもがんばらないと...。
 そこで、毎日五時に起きる事にした。貴重な一時間半。しかし、それは塾の復習に使う事に。埋め合わせが...。
 そんな時、塾からアドバイスをもらった。
「ま ずは、塾のペースに慣れる事から。そして、出された宿題をきっちりし、定着させる事が大切だ。」と。自分一人で中学受験と戦っているものと思っていた。し かし、違っていた。一人一人の事を考えてくれている先生達が一緒にいた。そう思うと気持ちが楽になり、今進む道が見えた。しかし、宿題と授業の定着だけで 大丈夫だろうか...と言う不安はあったが、がんばるしかない。
 一ヶ月が経ち、自分なりのペースが出来、宿題以外にも時間が回せる様になった。あせるな、今目の前にある課題を一つずつこなしていく。そうすると、前へ前へと確実に進める。「地道に、確実に。」その言葉が自分の心の支えとなった。
 皆との差が縮まったかどうかは分からないが、他人と比べるのではない。今の自分と前の自分がどうかだ。少しでもステップアップしていく事が大切だ。がんばろう。
 そう思って自分を支えていたが、公開テストの数字にはなかなかつながらなかった。またあせりが...。二極する気持ちが時折ぼくを苦しめた。でも、塾の言葉を信じてついて行こう。ぼくが最初にそう決めたのだから。
  冬が来た。十一月の終わり頃、やっと少しの光が見える結果が出始めた。心を強くしてがんばっていても、目に見える結果の力は、すごかった。確実に自分への 自信に。そして、一月の合格へ。強くしてがんばっていても、目に見える結果の力は、すごかった。確実に自分への自信に。そして、一月の合格へ。

「がんばれ」は言わない

 ぼくが馬渕教室に来た理由は、三つあります。
 一つ目は、入室テストが難しい所です。馬渕は、大手の中の一つなので、難しいのもとうぜんなんですが、そこに入れることがうれしいからです。
 二つ目は、勉強を面白おかしくできて、それのおかげで、成績が結こうよくなる所です。
 三つ目は、先生が差別なく僕達の質問や意見などを聞いてくれる所です。これは、他の大手塾には、ありそうでない、馬渕だけのものなのです。
 次に、僕が一番のスランプにおちいっていたのは、小五の夏期講習から小六の初めまでです。小五の夏期講習からは、宿題に追われっぱなしでした。そして、日々が続くに連れて、もう勉強がいやになったのが小六になる前の頃でした。
そんな時、先生に相談に乗っていただき、はげましの言葉をくれた時にそのスランプから抜け出せました。
 その後も何度か塾を辞めたい時期はあったけど、それをふっきってこその自分がいるのだと思います。
  そして、最後に、僕の題になっている「がんばれ」は言わないというのは、国語の先生でもあり担任でもあるT先生の言葉です。その言葉の意味は、お前達は もうすでにがんばっているんだから「がんばれ」は言わないという意味なのです。その言葉を僕は入試の当日に言われて、すごく勇気付けられました。
 あと、後輩の皆さんに一言、カベぬりのような勉強はするな、というのはカベぬりは他の事を考えながらでもできるけど勉強は作業ではないのだ、ただ勉強というものに向かってつっ走ってください。
 馬渕教室の先生がた、本当に心から感謝しています。

 ありがとうございました。

意志~諦めない心~

「あった!!430!!」
「ふぅ~、よかった。」
 一月二十日午後十一時、東大寺学園中学校合格発表。視力の悪い僕には教室の窓に掲 示された合格発表は見えないので、母に見てもらった。もちろんとても嬉しかったのだが、それよりも「安堵」の方が大きかった。合格証書をもらった後、親戚 や友達から祝福の電話やメールがたくさん来た。だが素直に喜べない。確かに幸せだがまだ「安堵」の方が大きい。今思えば「合格」という二文字を「頭」で理 解していても「心」では実感できていなかったんだと思う。
 その後、馬渕教室に合格を報告しに行った時だった。そこには、それぞれの教科で教わっ た四人の先生方がそろっておられ、どの先生も本当に心から温かく迎えて下さった。...そして、その後、今までずっと「安堵」の気持ちが大きかった僕 が...泣いてしまう。目から涙が...涙が滝のように止まらなくなった。
 「本当によく頑張ったな!」と肩を持って下さったW先生。事務室越 しにでも心からの笑顔を見せて下さったT先生。泣きじゃくる僕を何とか笑わせようと合格祝賀会の景品の話をして下さったI先生。「大好きだった馬渕と ももうお別れ、これからちゃんとやっていけるかどうか」と問う母に「大丈夫ですよ。どんなことも力強く乗り越えていく、そうやって成長していくんですよ、 きっと」と僕を信じて下さったF先生...どの先生も心なしか瞳が赤くなっている気がした。
 今思えば馬渕での四年間、色々なことがあった。と てもこの原稿用紙になんて収まり切らない。時には体調的にも精神的にも苦しいこともあったけど何とか乗り越えられたのは、お互いの実力を認め合い共に同じ 道を歩んだ「友」・僕達を認め信頼して下さった「先生」・僕を信じて支えてくれた「家族」のお陰だと思う。
 次の学年に進級した君達は今、心のど こかに不安を抱えているんじゃないかと思う。確かに受験勉強は楽なものじゃないし、これから大きな壁と向き合わなければならない時もあると思う。けれど、 そんな時こそ、その壁から逃げずに「強い意志~諦めない心~」を持って自分を信じて頑張ってほしい。いつか君達の心の蕾が花開くことを、夢が現実に変わる ことを信じて進んでほしい。きっと君達にも僕と同じように君達を信じて支えてくれる友や先生、家族の存在があるはずだから...。
 今、僕はこの 合格体験記を書きながら、少しずつ、少しずつですがあの時味わえなかった「合格」の喜びを噛み締めています。そして先に述べた四人の先生はもちろんいつも 温かい挨拶を下さった事務の湯浅さん、その他僕をこれまで支えて下さった全ての先生方に感謝しています。本当にありがとうございました。僕はこの馬渕教室 が大好きです!馬渕教室での思い出は一生忘れません!!

努力は人を裏切らない

「努力は人を裏切らない」これは私にとって一番思い出がある大切な言葉です。
 私は自己推せんで同志社女子中学校を受験しました。自己推せんの資 格をとるために私は資格をとったり必要なテストを受けました。資格をとるためにいろいろしていた時期は一番しんどかったです。だから自己推せんで受けられ ると分かった時はほっとしました。しかし、私は受かったわけではないのでしっかり宿題はして授業もしっかりきいていました。しかし、理科・算数は全然成績 は上がらず困っていました。でも六年生後半になるとグッと上がってきました。その勉強法はどちらも一つだけ。算数は総問をくり返しやってときかたをおぼえ る。理科は直しを絶対に手をぬかない、それだけで絶対大丈夫です。私はそれだけでずい分と成績も上がり、とける問題も増えてきました。国語は毎回本気で授 業をきいていたら大丈夫、社会は「社会の力」などを覚えれば全然OKです。私はこのやり方で解ける問が増えたとき努力してよかったと心から思いました。
  当日、私は作文と面接で四科ではなかったので少し気が楽でしたが、作文のテーマが苦手なものでパニックになり、なんとか字数を守れたというぐらいでした。 面接は楽しくお話ができて少し安心できました。でも、終わった後心配でお腹が痛くてたまりませんでした。翌日結果をみると見事合格そして私の大好きな友達 も一緒に合格していて今までのなによりすごくうれしくてそして安心しました。この時前より努力してよかった本当に努力は人を裏切らなかったと思いました。 翌日学校にいくとその友達もクラスメートも一緒に喜んでくれました。
 後はいへ、私は本番絶対きんちょうするなとはいいません。むしろほんの少し きんちょうしたほうがいいと思います。でも、きんちょうしすぎはよくありません。もし、きんちょうがとまらないなら、今までのことを思い返してください。 そして「努力は人を裏切らない」この言葉を思い出してください。すると、少し安心できます。
 最後に馬渕伏見校でいろんなことを教えてくださった 先生たち本当にありがとうございました。心から思います。特に三年のころからずっといてくださって当日普通の試験とは時間がちがうのに学校まできてくだ さったI先生には特に感謝しています。私はこれから夢をかなえるために「努力は人を裏切らない」をモットーに同志社女子中学校で四月からがんばります。
 本当にありがとうございました。